日本の夏と言えば、花火、朝顔、お祭り、風鈴、セミの鳴き声など粋で趣のある風物詩が多くあります。
2020年、現代の若者は、昔ながらの日本の夏を感じた時にきっと「エモい」と表現をすることでしょう。(エモい=エモーショナル)
エモい夏をよりエモく、粋で趣のある夏のお花。朝顔を知ればきっと育ててみたくなるはず。

朝顔のルーツ

今や日本の風物詩の朝顔ですが、ルーツは中国にあります。
当時の中国では薬用として扱われて、牛一頭と交換されていたとか。

今や、小学生が夏に育てるお花の定番ですが、かつては高級品。
日本に伝わったのは奈良時代末期から平安時代といわれています。
日本でも、長い間薬草として扱われてきました。

江戸時代に2度のブーム

江戸時代には朝顔のブームが二度訪れています。

大火事をきっかけに朝顔栽培

朝顔の第一次ブームは江戸時代の町人文化が栄えていた1804年~1830年です。
現代でも良く知られる浮世絵や歌舞伎、川柳などが全盛期の頃に朝顔のブームも訪れました。

1806年に江戸大火(大火事)が起きたことがきっかけで朝顔の栽培が盛んに。
火事により大きな空き地ができ、そこに植木職人たちが集まりあさがおを栽培しました。
品種改良も行われ、一風変わった朝顔は人々の注目を集め人気になったようです。

八重咲のものや、花びらが細かいもの、現代では再現が難しい黄色の朝顔も栽培されていたとの記録もあります。

江戸時代の朝顔第一次ブームのきっかけの場所は下谷、現在の東京都台東区です。
台東区では毎年7月に「入谷あさがお祭り」が開催されています。
江戸時代がルーツのあさがお祭りはきっと粋な雰囲気を肌で感じることが出来るでしょう。
2020年の今年は新型コロナウイルスの影響でお祭りは開催されませんでしたが、
あさがおの通信販売はしているようなので、お祭りに思いをはせ朝顔を育ててみてはいかがでしょうか。

朝顔師 植木屋の成田屋留次郎

第二次ブームは江戸後期の1848~1860年です。
ブームのけん引役はあさがおの美しさに魅了された植木屋の成田屋留次郎(なりたやとめじろう)さん。
成田屋といえば歌舞伎の屋号として有名です。
成田屋留次郎さんの名前は、当時の市川団十郎さんの大ファンだったことから、そのまま植木屋の屋号を「成田屋」にしたとか。

第二次ブームの頃には1200種類もの朝顔の品種がありました。
この頃のあさがおブームは珍しいあさがおの為なら大金を払う愛好家も多くいたようです。
成田屋留次郎さんは朝顔の品種改良にかなりの力を入れており、全国から、変わった朝顔が咲いたという情報を入手しては
そこへ出向いていって種を手に入れ、品種改良の実験を繰り返していました。
留次郎さんは品種改良のかたわら、変化朝顔120種余をまとめた図譜を出版しています。

朝顔への並々ならぬ情熱と努力は現代であれば、職人、学者として情熱大陸あたりでとりあげらていたでしょう。
江戸時代のブームを経て朝顔は日本で改良技術が最も確立された植物の一つとなりました。
世界的に見てもこれほど形態が変化した植物はないといわれています。
今でも、一見、朝顔とはわからないような咲き方の「変化朝顔」が見られますが、それも江戸のあさがお第二次ブーム、成田屋留次郎がいたからこそなのでしょう。

今年の夏は花火大会も、お祭りも、旅行も、イベントも、海水浴もなかなか困難な状況ですが、朝顔を育てて日本の夏を感じてみるのも粋ではないでしょうか。

コンテンツタイトル名

江戸 粋で趣のある夏のお花 朝顔

日本の夏と言えば、花火、朝顔、お祭り、風鈴、セミの鳴き声など粋で趣のある風物詩が多くあります。
2020年、現代の若者は、昔ながらの日本の夏を感じた時にきっと「エモい」と表現をすることでしょう。(エモい=エモーショナル)
エモい夏をよりエモく、粋で趣のある夏のお花。朝顔を知ればきっと育ててみたくなるはず。

朝顔のルーツ

今や日本の風物詩の朝顔ですが、ルーツは中国にあります。
当時の中国では薬用として扱われて、牛一頭と交換されていたとか。

今や、小学生が夏に育てるお花の定番ですが、かつては高級品。
日本に伝わったのは奈良時代末期から平安時代といわれています。
日本でも、長い間薬草として扱われてきました。

江戸時代に2度のブーム

江戸時代には朝顔のブームが二度訪れています。

大火事をきっかけに朝顔栽培

朝顔の第一次ブームは江戸時代の町人文化が栄えていた1804年~1830年です。
現代でも良く知られる浮世絵や歌舞伎、川柳などが全盛期の頃に朝顔のブームも訪れました。

1806年に江戸大火(大火事)が起きたことがきっかけで朝顔の栽培が盛んに。
火事により大きな空き地ができ、そこに植木職人たちが集まりあさがおを栽培しました。
品種改良も行われ、一風変わった朝顔は人々の注目を集め人気になったようです。

八重咲のものや、花びらが細かいもの、現代では再現が難しい黄色の朝顔も栽培されていたとの記録もあります。

江戸時代の朝顔第一次ブームのきっかけの場所は下谷、現在の東京都台東区です。
台東区では毎年7月に「入谷あさがお祭り」が開催されています。
江戸時代がルーツのあさがお祭りはきっと粋な雰囲気を肌で感じることが出来るでしょう。
2020年の今年は新型コロナウイルスの影響でお祭りは開催されませんでしたが、
あさがおの通信販売はしているようなので、お祭りに思いをはせ朝顔を育ててみてはいかがでしょうか。

朝顔師 植木屋の成田屋留次郎

第二次ブームは江戸後期の1848~1860年です。
ブームのけん引役はあさがおの美しさに魅了された植木屋の成田屋留次郎(なりたやとめじろう)さん。
成田屋といえば歌舞伎の屋号として有名です。
成田屋留次郎さんの名前は、当時の市川団十郎さんの大ファンだったことから、そのまま植木屋の屋号を「成田屋」にしたとか。

第二次ブームの頃には1200種類もの朝顔の品種がありました。
この頃のあさがおブームは珍しいあさがおの為なら大金を払う愛好家も多くいたようです。
成田屋留次郎さんは朝顔の品種改良にかなりの力を入れており、全国から、変わった朝顔が咲いたという情報を入手しては
そこへ出向いていって種を手に入れ、品種改良の実験を繰り返していました。
留次郎さんは品種改良のかたわら、変化朝顔120種余をまとめた図譜を出版しています。

朝顔への並々ならぬ情熱と努力は現代であれば、職人、学者として情熱大陸あたりでとりあげらていたでしょう。
江戸時代のブームを経て朝顔は日本で改良技術が最も確立された植物の一つとなりました。
世界的に見てもこれほど形態が変化した植物はないといわれています。
今でも、一見、朝顔とはわからないような咲き方の「変化朝顔」が見られますが、それも江戸のあさがお第二次ブーム、成田屋留次郎がいたからこそなのでしょう。

今年の夏は花火大会も、お祭りも、旅行も、イベントも、海水浴もなかなか困難な状況ですが、朝顔を育てて日本の夏を感じてみるのも粋ではないでしょうか。

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